終戦の日に平和を考える|なぜネットメディアにはジャーナリズムがないのか

終戦の日に平和を考える|なぜネットメディアにはジャーナリズムがないのか 女性と子どもの権利

※当サイトは、アフィリエイト広告を利用しています。

終戦の日

終戦の日に平和を考える|なぜネットメディアにはジャーナリズムがないのか

子どもの頃、夏は戦争と向き合う季節だった

8月15日、終戦の日ですね。

8月といえば、わたしが子どもの頃は新聞に戦争の記事がたくさん掲載されていました。最近あまり見かけないのは、おそらく新聞を購読せずにネットニュースだけ読んでいるから。

もちろん、戦争経験者の方々がご高齢化したり鬼籍に入られたりして、語り継ぐことが難しくなっているというのもあると思います。

けれどネットニュースにあまり戦争の記事が出てこない気がするんです。
わたしはこの状況に危機感を覚えています。

ネットニュースに終戦の日にまつわる記事があまり載っていない

 2021年8月15日午前11時の時点で、ヤフーニュースに掲載されているのが上記のニュースです。

 私個人の関心が反映されないよう、パーソナライズされない(Cookie、履歴などの閲覧データが反映されない)状態で閲覧しています。

 「ニュース」欄8本、「国内」欄8本の合計16本の記事のうち、終戦の日に関連する記事は3本(赤の傍線を引きました)。約18%の割合です。「経済」「エンタメ」などすべての分野を含めると、4.6%まで下がります。大雨洪水警報が重なった点は考慮すべきですが、少し報道のボリュームとして少ない印象を受けました。

ネットニュースがニュースのすべてか

ネットニュースがニュースのすべてか

パーソナライズされたコンテンツ

私たちが普段利用しているネットニュースは、パーソナライズされています。パーソナライズとは、何かを個々人向けにカスタマイズすること。

ネットニュースで言えば、利用者が興味を持っているジャンルやテーマにもとづき、WEB上に掲載されているニュースが選定されて表示されています。

例えばYahoo!ニュース。個人情報の扱い方を説明するページに、普段私たちが何気なく行っているスマホやPCでの検索が、Yahoo!ニュースに反映されると記載されています。

個々のお客様に最適なコンテンツをはじめとするサービス等を提供する場合…に、お客様の居住地域、性別、生年月等の情報や、お客様のサービス等のご利用履歴(検索キーワード、閲覧されたウェブページ、ご利用になったアプリ、購入された商品等)を分析して、Yahoo! JAPAN独自の基準で推定したお客様の興味関心に関する情報を利用させていただきます。たとえば、Yahoo!ニュースでは過去に閲覧したニュース記事等を分析して関心が高いと推定される記事を表示…します。

Yahoo!JAPAN パーソナルデータの活用

「過去に閲覧したニュース記事等を分析して関心が高いと推定される記事を表示する」ということは、

各個人が興味関心を抱いていると判断されたニュースは、サイトやアプリのわかりやすい位置に掲載され、興味がないと判断されたニュースは目立たない位置に表示されるということです。

これによって何が起こるでしょうか。

視野狭窄に陥りがちな情報収集

それは、私たちの見える世界が狭まるということです。

ニュースのパーソナライズによってもたらされるのは、視野狭窄です。

知りたい(と判断された)情報のみが与えられ、興味がない(と判断された)情報は、私たちの手元に届かなくなります。

情報が偏れば世界は狭まる

情報が偏れば世界は狭まる

 パーソナライズによる情報の偏りが日常化するのは非常に危険なことです。 いずれパーソナライズが常態化して、その結果、情報の偏りに違和感を感じなくなるでしょう。それはつまり、世界を客観視する・相対化する視点を失うということです。

 情報が遮断されたことにすら気づかぬまま、閉鎖された空間を空間のすべてと認識して生活することになります。

 これは専門用語を使って一般化すると、セレンディピティの喪失、エコーチェンバー化、 集団極性化、フィルターバブル状態、と言えます。

セレンディピティの喪失

 セレンディピティとは偶然の出会いのこと。自身の興味関心にもとづいてネットニュースが配信されると、ニュース上での偶然の出会いは失われます。「今まで興味はなかったけれど、たまたまニュースで知って興味を持つ」ということがなくなります。

 興味のない情報が提示されなければ、そもそも知らない情報があると気づくこと(無知の知)もなくなるでしょう。

エコーチェンバー化・ 集団極性化

 次にエコーチェンバー化。「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローした結果、SNSで意見を発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況のこと。

 集団極性化とは、例えば集団で討議を行うとみんなの意見が特定の方向に先鋭化するような事象のこと。一見、議論では反対の意見も取り入れられるだろうと思われがちですが、実験を行ってみると逆に先鋭化する例が多くみられたそうです。

 ネットニュースでいうなら、SNSでニュースを共有する過程で、自分の意見と似通った意見ばかりが自分のもとに集まり、あたかもそれ以外の意見は存在しないかのように錯覚する、あるいは意図的に自分と近しい意見ばかりを集めて考えを先鋭化させる。そうしたことが起こりえます。

フィルターバブル

 フィルターバブルについて。「フィルターバブル」とは、Google検索などのアルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離され、自身の考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境のこと。

 私たちの世界を形づくる情報が選別されることで、自分の「世界」が箱庭化していくわけです。自分の興味を引く情報と引き換えに、広く様々なニュースを知る機会が奪取されているとも言えます。

ネットメディアは利益追求だけではなくジャーナリズムの矜持を

ネットメディアは利益追求だけではなくジャーナリズムの矜持を

なぜパーソナライズされるのか

 ではなぜニュースがパーソナライズされるのでしょうか。それはネットメディアが過剰に営利目的化、商業化されているためです。閲覧数、閲覧時間が多いほど、利益が出る仕組みになっています。

ニーズのないニュースが供給されなくなる恐れ

 メディアの過度な利潤追求は、もう1つのリスクをはらんでいると思います。それは、需要のない(閲覧数の少ない)ニュースは、たとえ重要な内容であっても利用者に提供されなくなるということ。「誰も見ないから利益にならない、だからニュースとして価値がない」と判断され、私たち市民に重要な情報が届かなくなる恐れがあるのです。

メディアの媒体が変わっても使命は変わらない

 新聞であれネットニュースであれ、サービスの利用者からすれば、どちらも巨大なマスメディア(情報伝達組織)であることに変わりはありません。媒体が、紙からインターネットに変わった程度の認識です。暗黙のうちに「当然ネットメディアにもジャーナリズムが継承されているだろう(報道すべきことを報道してくれるのだろう)」と信頼を置いています。まさか自分たちのニーズがニュースの優先順位を左右しているとは思ってもみません。
 この信頼を知って尚、ネットメディアが利潤追求のニュースを世に送り出しているのだとしたら、それは巨大な権力の驕りでしょう。
 消費者がより簡便で安価なサービスに流れるのは、新聞や雑誌の衰退に限らず必然です。しかしサービスの根幹をなす価値観が実は全く異なるとしたら、利用者の流出は恐るべきことです。

ネットメディアには社会的責任がある

 ジャーナリズムのそもそもの目的は、市民の自由、そして自治に必要な情報を市民に提供することです。

 もし仮に新聞などのオールドメディアが衰退しても、ジャーナリズムは死んではなりません。新聞からネットなどへ形態を変えたとしても、ジャーナリズムは保たれるべきです。そうでなければ、商業的に力を持った者の言説が幅を利かせることになるでしょう。それではダメなのです。

真に市民に資するジャーナリズムを

 これまで見てきたように、利用者の興味関心のみに特化したニュースは、無知の無知を招きかねません。

 本来メディアや報道機関には、無知蒙昧を啓く使命、社会的責務があるはずです。それはネットメディアであっても例外ではありません。

 社会的に大きな影響力のある者の責務として、ネットメディアはユーザーの閲覧数のみを目的とせず、「真実を広く伝え、市民の知る権利に奉仕し、人権を尊重する自由で平和な社会の実現に貢献すること(テレビ東京 報道倫理ガイドライン)」を目的とすべきです。

 もし既存のネットメディアにそれができないのであれば、いつか新たなメディアが勃興し、真に公共の利益に資するジャーナリズムを牽引してくれることを期待しています。

子どもたちの生きる未来は平和な世界であってほしい

 わたしの祖母は東京大空襲で家族を亡くしています。祖父は特攻寸前で終戦を迎えました。今わたし達が生きていられるのは、奇跡的に命のバトンが繋がってきたからに他なりません。

 子どもたちが戦争に巻き込まれることのないよう、平和な世界を生きられるよう、私たちがこの世界を作っていくのです。

 今日は、2021年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で朗読された詩の一部を引用します。全文はこちら。戦争の痛ましさは決して風化させてはなりません。

2021年度沖縄全戦没者追悼式 平和の詩 「みるく世の謳」

みるく世の謳(うた)

宮古島市立西辺中学校二年 上原 美春

12歳
初めて命の芽吹きを見た。
生まれたばかりの姪は
小さな胸を上下させ
手足を一生懸命に動かし
瞳に湖を閉じ込めて
「おなかすいたよ」
「オムツを替えて」と
力一杯、声の限りに訴える

大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、
平和だと思う。
赤ちゃんの泣き声を
愛おしく思える今日は
穏やかであると思う。

(中略)

この空はきっと覚えている
母の子守唄が空襲警報に消された出来事を
灯されたばかりの命が消されていく瞬間を

(中略)

忘れないで
誰もが平和を祈っていた事を
どうか忘れないで
生きることの喜び
あなたは生かされているのよと

いま摩文仁の丘に立ち
私は歌いたい
澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ
今日生きている喜びを震える声帯に感じて
決意の声高らかに

みるく世ぬなうらば世や直れ

平和な世界は私たちがつくるのだ

(中略)

私たちは忘れないこと
あの日の出来事を伝え続けること
繰り返さないこと
命の限り生きること
決意の歌を
歌いたい

いま摩文仁の丘に立ち
あの真太陽まで届けと祈る
みるく世ぬなうらば世や直れ
平和な世がやってくる
この世はきっと良くなっていくと
繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと
信じ手渡されたバトン
生きとし生けるすべての尊い命のバトン

(中略)

みるく世を創るのはここにいるわたし達だ

出典・参考リンク

タイトルとURLをコピーしました